イスラエルによる犯罪行為の例

●難民の帰還権利を拒否
1948 年、イスラエルの建国にともなって、村の破壊や住民虐殺、強制追放、
レイプなどが行われ、80 万人ものパレスチナ人が故郷を追われ、難民となりました。
「ナクバ(大いなる災い)」です。
国連はこうした難民たちがすみやかに故郷に帰ることを求める決議(国連決議194)を出しましたが、今日に至るまでイスラエルは難民の帰還権を拒否しています。
そればかりか、故郷を追われたパレスチナ人が残した土地や家、財産を没収する法律を制定し、イスラエル国家のものとしてしまいました。

●虐殺行為
イスラエルは、無抵抗の村の住人を皆殺しにする(デイル・ヤーシーン村、タントゥーラ村)などの
虐殺を重ねて建国され、建国後も難民キャンプを攻撃し数千人を殺す(1982 年、2002 年など)、
子どもを含めた民間人を殺す(1968、1982、1996、2008 年)、などという行為を繰り返してきました。
また、とりわけ2000 年の第二次インティファーダ以降は、まるで兵器の実験のように残虐兵器が使われています。


●壁(アパルトヘイト・ウォール)の建設
 2002 年から、イスラエルはヨルダン川西岸地区に「分離壁」を建設し始めました。
この壁は、パレスチナの人々の土地や水資源を奪い、パレスチナの町と町を分断し、
パレスチナの人々が通常の生活を送ることを不可能にしています。
パレスチナの文化・教育・農業・経済が破壊された結果、
多くの人々がパレスチナから出てゆくことを余儀なくされています。
2003 年、国連は壁建設の中止と徹去を求める決議をし、
さらに国際司法裁判所はその国際法上の違法性を明確に指摘しています。


●違法な占領と包囲
 イスラエルは、国際的に違法にパレスチナの人びとの土地を占領し入植を繰り返してきました。
さらに、水や食料へのアクセスを制限するなどの措置も行っています。
1980 年に国連安保理によって出された「アラブ占領地におけるイスラエル入植地に関する国連安全保障理事会決議465」は、以下のように指摘しています。
「占領地に自国民と新移民の一部を入植させるイスラエルの政策と措置は,
戦時における文民の保護に関するジュネーヴ第四条約に対する重大な違反であり,
また,包括的,公正かつ永続的中東和平達成にとって重大な障害となっていると決定する。(中略)すべての国に対して,占領地における入植地に関し,
利用されうる如何なる援助もイスラエルに与えざるよう呼びかける。」